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映画『悪は存在しない』感想。衝撃のラストに言葉を失う

ヒージャ
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「ドライブ・マイ・カー」(2021年)を監督した濱口竜介さんの新作『悪は存在しない』(2024年公開)を沖縄市の映画館・シアタードーナツで鑑賞してきました。

シアタードーナツ代表の宮島さんがセレクトする作品は、「観なければよかった」となるような、ハズレのような映画はない。だからここで観る映画は、事前にあらすじなどを確認せずに直感で選んで観にいくことがほとんどです。

本作は、第80回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞したすごい作品らしいのですが、そういったことも知らずに作品に向き合いました。

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「悪は存在しない」あらすじ

長野県、水挽町(みずびきちょう)。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。

ラストシーンの戸惑い

鑑賞後にまず出てきた感情は「!?!?」。

ラストシーンをどう受け止めていいのか分からず、しばらく言葉が出てこなかった。あまりにも展開が唐突すぎて、「どこか見逃したシーンあった?」と思ってしまったほど。

花が怪我をした鹿と対峙するシーンで、高橋が止めに入ると、巧はなぜか彼を後ろから絞め落とします。まったく理由が分からない。もし「花と鹿の対峙を見せたくなかった」のなら、もっと別の行動をとるのでは?と思ってしまいました。

さらに、場面が切り替わると鼻から血を流し倒れている花。高橋を気絶させたまま、巧は花を抱えて森の奥へ。結局、花の失踪の真相は謎のままです。モヤモヤした気持ちだけが残り、「一体何を見せられたんだろう」という余韻が強烈に残りました。

印象に残った住民説明会のシーン

一方で強く印象に残ったのが、グランピング事業をめぐる住民説明会。

表向きは住民の声を聞く場だけど、実際には「説明会をした」という既成事実をつくりたいだけ。担当者は会社の事情に縛られ、本気で住民と向き合うつもりはない。説明担当の高橋の態度には苛立ちを覚えつつも、「仕事だから仕方ない」と感じさせるリアリティがありました。

映画を観ながらふと頭をよぎったのは、沖縄県北部にオープンした「ジャングリア沖縄」のこと。計画当初から賛否の声があり、説明会の場がどんな雰囲気だったのかは私には分かりません。ただ、自然や地域との向き合い方をめぐる映画のシーンと、ジャングリアのオープンにあたっては同じような議論があったのかなと想像してしまいました。

タイトル「悪は存在しない」に込められた意味は?

鑑賞中は、住民説明会でのやりとりから「そういう意味でのタイトルか」と思いました。しかし、あのラストシーンを含めて考えると、ますます分からなくなります。

この映画には明確な答えがなく、観る人によって解釈が大きく変わるはず。観客に「問い」を残すことで、作品が頭の中で長く響き続けるのだと思いました。『悪は存在しない』は、不思議な余韻を観客に残す映画です。オチが見えないもどかしさを不満と感じる人もいるでしょうが、こうした「モヤモヤ」もまた映画の面白さかなと感じました。

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ブロガー
沖縄在住の会社員です。
日々の暮らしの中で気になったことを、少しずつ書いています。
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